823砲戦から60年、総統:当時の将兵に感謝

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60年前の1958年8月23日、離島の金門は44日の短い間に47万以上の砲弾に撃ち込まれた。副司令3人が戦死した。しかし、中華民国軍の反撃と米軍の協力の下、金門が守られると共に、台湾海峡の平和と経済発展の機会も確保された。蔡英文・総統は823砲戦から60年を記念するため、自身のフェイスブックに823砲戦を回顧する映像をアップロードして当時の将兵に謝意を表した。

 

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1958年8月23日、中共人民解放軍は600以上の大砲を使って中国大陸の厦門から台湾の離島の金門を砲撃しました。陸軍金門防衛司令部の副司令三人が戦死しました。「八二三砲戦」がこれでスタートしました。

 

当時金門に駐屯していた将兵は反撃し、アメリカも第七艦隊を派遣して中華民国海軍の補給艦を護衛し、国軍に8インチ砲を6門供与しました。双方は44日間対峙していました。金門に47万発以上の砲弾が撃ち込まれました。後に中共人民解放軍は実弾攻撃を放棄してその代わりに宣伝ビラなどが詰め込まれた、いわゆる「宣伝砲弾」を使用しました。奇数の日にはこの宣伝砲弾を撃ち込みましたが、偶数の日は砲撃を停止した戦略でした。中華民国軍は金門の防衛に成功しました。

 

私立淡江大学国際事務及び戦略研究所の黄介正・副教授は、「外省人と本省人が一丸となって中共人民解放軍の侵略に抵抗し、台湾を防衛するきっかけとなった823砲戦。823砲戦後、台湾は経済を発展させる時間と空間が得られたのだ。」と823砲戦の台湾に対する重要性を説明しました。

 

緊張した雰囲気に包まれていた戦地の金門は60年後の今日、観光スポットとして一般開放されています。対岸の中国大陸のアモイとは局地的な通商、通航、通信のいわゆる「小三通」が実施されているほか、対岸からの水の供給も受けています。著名な模範街では、中華民国の国旗と中華人民共和国の国旗が道の両側に掲げられている光景まで見られます。

 

黄・副教授は、「金門は台湾と中国大陸を連絡するルートで、両岸関係の突破口の役割を果たす可能性もある。」という見方を示しました。

 

蔡英文・総統は、自身のフェイスブックに823砲戦の映像をアップロードして当時の将兵の貢献に謝意を表しました。国防部も国軍歴史文物館で砲弾や軍服などを展示して60年前、台湾海峡を守ってくれたこの重要な戦役を記念しています。